女の子がラーメンを食べる時の所作の話

 

 

最近よく、twitterとかでデートに彼女をファミレス、牛丼チェーンに連れていくか否かという論争を見かける。たしかに、デートで行く特別感はないかもしれないけど、好きな人と一緒にいれたらどこでもいい、って思ってくれる女の子が一番可愛いと思います。結局、等身大がいいよね。

 

 

私は、「一番異性とデートに行くべき場所はラーメン屋説」を提唱したい。

 


 これには、あらゆる面から見てれっきとした理由がある。

しかし残念なことに、女子諸君が一番デートに行きたくないのもラーメン屋さんであるのは間違いない。まず、麺類であること。啜るという行為を毛嫌いする女性も少なくない。かつて、蕎麦をすする音が原因で離婚した芸能人がいたような気がする。暑いし、狭いし、ゆっくりできないし、周りは男だらけだし。ラーメン=男の食べ物という固定観念は消えることはない。インスタ映えもしないしね。

 

 しかし、だからこそ、女性の魅力が引き立つのではないだろうか。

ここに、女子がデートでラーメン屋さんに連れていかれたときに、するべきことを書き記しておくので、ぜひ、参考にしてほしい。

 

 

店内に入る前に、ラーメンを食べに行くということは、お腹をそこそこ空かせていないといけないわけである。生半可な気持ちでラーメンに臨んではいけない。女の子から「お腹すいた〜」と言うことは少し恥ずかしいかもしれないが、かわいいので、しっかりお腹をすかせていこう。食べられない、となったら幻滅である。いっぱい食べる君が好き。お腹いっぱい〜と言いつつも、出された分はしっかり食べろ。じゃなきゃ少なめを頼め。お願いだから残さないでね。

席に着いて、2人分の水を用意してくれたらありがたい。気がきく女。いや、常識か。

 


さぁ、ラーメンが届いた。 

ここで、超重要ポイントがある。むしろここだけ知って欲しかった。

 


髪の毛を結んでください。


  

 

男性にとって女子の髪の毛とは神秘であり、いつの時代も憧れの対象である。和歌の中にも美しい髪の毛のことを書いている歌はたくさんある。恋愛相手には自分にないものを求めるとはよく言うが、男性にとって長い髪の毛は自分では持ち得ないものであり、それは手の届かないものなのだ。そんな髪の毛を慣れた手つきで結ぶ姿は凛としていて、美しい。普段、髪を結ぶところなんて男性は滅多に見られないから、まるで、匠の技のように彼の目には映るだろう。

さらに、髪の毛を結ぶ仕草の時、当然腕をあげるから、胸元や脇の洋服が引っ張られ、女性らしい体つきも強調されるのである。なんと隙だらけでエロいポーズなんだ。



さらにさらにゴムを口にくわえる仕草が好きという男性もいるようだ。確かに、口が「あむっ」と言う形になって可愛いかもしれない。



さらにさらにさらに、邪魔な髪の毛が取り除かれ、そこに現れるのは、「耳」である。

耳という器官の形の卑猥さ、繊細さはもはや性器であると私は思っている。。人によって形も違う。しかも、髪を下ろしている状態だと、見えない。エロい。しかも、ラーメン屋の特性上、だいたいはカウンターで横並びになっているから、耳の主張の激しさたるや。耳、見放題である。エロい。この前、おとなしい女友達の耳たぶのちょうど真ん中、ピアスを開ける位置に、ちょうど、薄いホクロがあって、すごく興奮してしまった。本人がなかなか気づけないだろうところに気付いてしまったということがなんだか背徳感を感じてエロかった。



ショートカットの人もぜひ、耳に髪の毛をかけていただきたい。耳に髪の毛をかける仕草も男性はよく好む。理由はやはり、髪、そして耳にあると思われる。


かきあげた耳に揺れる小ぶりのイヤリングとかピアスをつけていたらきっとドキっとしてしまうだろう。だって、髪の毛で見えないのに、なんでつけてたの?ってなるじゃん。見せるつもりないのに、Tバックを履いているのと一緒じゃない?とんだ変態女だぜ。

 


ここまで、鼻息を荒くしながら、キーボードを打つ手が止まらなかった。

最高。もうゴール。食べる前からゴール

 

「あっつ」と言いながら頰を膨らませ、ふぅーふぅーするのもよし。

ふぅふうすると唇が尖って女の子のふっくらした柔らかい唇が強調されるのでかわいいので。

やらなくてもいいけど、どうせなら思いっきり麺をすするもよし。

これは個人的な願望なんですけど、豪快に食べているとかわいいので。

「汗かいた〜」と言って、手をうちわのようにパタパタさせるもよし。

額や首筋が汗でキラキラしていたら、本当にエロいです。

そして、大事なのが、ちゃんと「おいしいね」と言うこと。

 

 

「ごちそうさま」とちゃんとお店の人に言って丼を片付ける。ティッシュとか、あれば布巾とかで、自分の使ったカウンターをさっさと拭いてくれたら最高です。こういうところにしつけが出ると思う。客だからって横柄な人は本当に生理的に無理です。

店から出るときもごちそうさまを欠かさないこと。彼のハートだけではなく、ラーメン屋のガタイのいい兄ちゃんのハートまでも鷲掴みにすること間違いなし。

またぜひお越しください。(飲食店勤務は語る)

 


いかがだっただろうか。以上がラーメンを食べる時の女子の所作であり、私の注目ポイントである。ぜひ、ラーメンを食べる時にはこれらに注目していただきたい。ただのラーメンをひと味もふた味も違った形で楽しめるに違いない。

 

ラーメン屋という空間において、あなたきっと女神になれる。

 



 

 

 

 

 

ウィンナーの話



ウィンナーの話。と書くと、なんだか下ネタのような気がしてしまうのはなんでですかね。



自分はもっぱら食べることが好きで、好き嫌いも特にないんですけど、先日初めて「あんきも」というものを食べたら、美味しいのか不味いのかよくわからなくて、自分がちょっとかわいそうになりました。味覚は人それぞれだけど、それをおいしいと感じる人と喜びを共有できないのが悲しい。私が大好きな食べ物である甘いものも、辛いものも、食べられない人はそれはそれで別に不幸ではないのだろうけど。



小学生の頃、近所の公園で家族ごっこをしていた。私はお母さんで家族のためにご飯を作らなければいけないので、その辺の変な赤い水とかどんぐりとか、いい感じの雑草を潰したり水と混ぜたりして、それはそれはかなり手の込んだ料理をしていた。今考えたら、布で濾してきのみのエキスを抽出したりしていたので、やばい。


でも、これは食べられない。


お母さんありがとう〜と言いながら私の娘やお父さん、犬役の友達は食べたふりをして、地面にそれを、捨てた。それが食べられないことなんて、わかってる。でももしかしたら食べられるかもしれない、と思っている自分がいた。



もしかしたら食べられるかもしれない、そう思って生まれた食品はたくさんあるみたいだ。



豆腐やチーズなどの発酵食品は代表的である。腐り豆という名の冠された食材。かわいそうだけど、その通りだから仕方ない。ブルーチーズなんてカビ。カビを食べてる。納豆とか糸引いてるし、もはや菌。


私は、こういう食べ物を最初に食べた人の名前はちゃんと歴史に残るべきだと思う。


なんで食べみようと思ったの??と小一時間その人を問い詰めたい。どうしてもそれを食べてみたかったと思って食べたのなら、その人は好奇心旺盛で、勇敢な、愛すべき食いしん坊だ。トリコとか食戟のソーマに出てきてほしい。



でも、一つだけ、理解に苦しむ食品がある。それはウィンナーソーセージ。



ここからは少し残虐なことを書くのでウィンナーを美味しく食べたい人は読まないほうがいいかもしれない。

ウィンナー(ソーセージ)はドイツに代表される食品で、豚、羊、牛などの肉を豚、羊、牛などの腸に詰めたものである。シャウエッセンおいしいよね。

なぜ腸に肉を詰めようと思ったのか?調べるとたしかに腸に詰めることで保存が効き、持ち運びにも便利になるらしい(wiki調べ)

でも、腸に肉を詰めようという発想が、怖い。もうサイコパスのそれ。腸という消化器官に、それ自身の肉を詰めるという行為が、共食いないし、一種のカニバリズムのように映る。当然、腸内には生きていた頃の消化物が残っているわけだから、取り出して、中身を洗って、裏返したりしないといけない。ちょっと書いてるだけで気持ちが悪くなってきた。

ドイツのことわざに、「ソーセージと法律は作る過程を見ないほうがいい」というものがあるらしい。それな。ほんとそれ。



食べるためにそこまでするか??普通。

別にベジタリアンになりたいわけでもないし、むしろ人のお金で焼肉を食べたいといつも思っているタイプの人間だし、季節は次々死んでゆくのMVも平気で見れる。でもウィンナーを見るたびに、少し考えてしまう。

それでもたべる。先人の知恵だから。美味しくたべるための。人は残酷。たべる。命をいただく。生きなきゃね


よって、23時25分、今からラーメンを食べます。





プロフィール交換をしたい話

 

 

最近になってやっと、自分がどういうものが好きで、どういうものが嫌いなのかはっきりしてきた。自分で稼いだお金を自由に使えるようになって、漫画やCDや本を自由に買えるようになったからかもしれない。最近は浅野いにおの漫画と村上春樹を集め始めています。

  

人は、その人の好きなものでできているし、逆に、その人の好きなものがわかればその人自身のことも少しわかるんじゃないかな、と私はいつも思う。だから、人の家に遊びに行った時はその人の本棚を見る。できたら音楽プレイヤーの中身も見せてもらいたい。それがその人の歴史で、感覚で、頭の中だから、少しでもいいから知ってみたい。

 

 

小学校のとき、プロフィール帳交換なるものが流行った。クラスの人気者はいろんな人に書いてもらっていて、うらやましかった。私も、好きな男の子に書いてもらえた時は本当に嬉しかった。おかげで、その子の誕生日や血液型も知ることができたから、相性占いとかを勝手にやってた。怖い。

 

今思えば、名前や住所、プリクラも載せていたから、もし道端に落としでもしたら大変なことになっていただろう。

 

 

 

あれを今、やりたい。

 

 

 

今あれを自分が書いたら、どんなことを書くんだろう。小学生の自分はその時に流行っているものしか知らなくて、人生経験も浅くて、絶対に自分のことを理解してないって断言できる。小3の私は好きなお笑い芸人にワッキーを挙げていた。笑える。

 

「私はこれが好きです」と特に意味もなく言える機会はなかなかない。別にハッシュタグをつけて人と繋がりたいわけじゃないし、日曜だし邦ロック好きと繋がりたいってわけでもないけど。ただ私はこういう人間なんです。って言ってみたいだけ。

新しい季節になってこれからまた新しい人と出会う。知らない人と話す。当然自分のことを聞かれる。音楽は何が好きなの?とか。そういう時、相手は会話を弾ませようと自分との共通点を探しにいってるから、なんとなく、寄せてしまう。インディーズのバンドの名前なんて出したらもうおしまい。「多分言っても知らないと思うけど……」って言葉は相手からある程度同じ匂いを感じ取るまでは使っちゃいけない、と私は思う。好きなものなんて、自分一人で愛せていればいい。どうせ正解なんてないんだから。

 

 

自分は何が好きで何が嫌いなのか見つめてみると何だか自分の輪郭をなぞっていくような感覚に陥る。見えてくる。掴めてくる。自分がどんな人間なのか、わかってくる。自分の芯がそこにあるんだってことを確かめられる。

5年後とかにもう一回やってみる。すると今の答えと違う。自分が芯だと思っていたものが変わったことがわかる。絶対おもしろい。

 

 

自分の仲のいい人に書いてもらう。

その人の名前や好きなものとか、メッセージがその人の文字で書かれたカードをもらうなんて、今考えたら本当に素敵なことじゃないか。誕生日もわかる、血液型もわかる。年賀状を書かなくなった今このご時世、相手の住所を知る機会なんて滅多にない。意外な人が意外なものを好きだったりして、ちょっと驚く。でも、相手のことが少しだけわかった気になる。絶対楽しい。今も雑貨屋さんに売ってたりするんだろうか。

 

 

そんなことをいつも考えたりしています。

まりえんぬです。よろしくお願いします。