ウィンナーの話



ウィンナーの話。と書くと、なんだか下ネタのような気がしてしまうのはなんでですかね。



自分はもっぱら食べることが好きで、好き嫌いも特にないんですけど、先日初めて「あんきも」というものを食べたら、美味しいのか不味いのかよくわからなくて、自分がちょっとかわいそうになりました。味覚は人それぞれだけど、それをおいしいと感じる人と喜びを共有できないのが悲しい。私が大好きな食べ物である甘いものも、辛いものも、食べられない人はそれはそれで別に不幸ではないのだろうけど。



小学生の頃、近所の公園で家族ごっこをしていた。私はお母さんで家族のためにご飯を作らなければいけないので、その辺の変な赤い水とかどんぐりとか、いい感じの雑草を潰したり水と混ぜたりして、それはそれはかなり手の込んだ料理をしていた。今考えたら、布で濾してきのみのエキスを抽出したりしていたので、やばい。


でも、これは食べられない。


お母さんありがとう〜と言いながら私の娘やお父さん、犬役の友達は食べたふりをして、地面にそれを、捨てた。それが食べられないことなんて、わかってる。でももしかしたら食べられるかもしれない、と思っている自分がいた。



もしかしたら食べられるかもしれない、そう思って生まれた食品はたくさんあるみたいだ。



豆腐やチーズなどの発酵食品は代表的である。腐り豆という名の冠された食材。かわいそうだけど、その通りだから仕方ない。ブルーチーズなんてカビ。カビを食べてる。納豆とか糸引いてるし、もはや菌。


私は、こういう食べ物を最初に食べた人の名前はちゃんと歴史に残るべきだと思う。


なんで食べみようと思ったの??と小一時間その人を問い詰めたい。どうしてもそれを食べてみたかったと思って食べたのなら、その人は好奇心旺盛で、勇敢な、愛すべき食いしん坊だ。トリコとか食戟のソーマに出てきてほしい。



でも、一つだけ、理解に苦しむ食品がある。それはウィンナーソーセージ。



ここからは少し残虐なことを書くのでウィンナーを美味しく食べたい人は読まないほうがいいかもしれない。

ウィンナー(ソーセージ)はドイツに代表される食品で、豚、羊、牛などの肉を豚、羊、牛などの腸に詰めたものである。シャウエッセンおいしいよね。

なぜ腸に肉を詰めようと思ったのか?調べるとたしかに腸に詰めることで保存が効き、持ち運びにも便利になるらしい(wiki調べ)

でも、腸に肉を詰めようという発想が、怖い。もうサイコパスのそれ。腸という消化器官に、それ自身の肉を詰めるという行為が、共食いないし、一種のカニバリズムのように映る。当然、腸内には生きていた頃の消化物が残っているわけだから、取り出して、中身を洗って、裏返したりしないといけない。ちょっと書いてるだけで気持ちが悪くなってきた。

ドイツのことわざに、「ソーセージと法律は作る過程を見ないほうがいい」というものがあるらしい。それな。ほんとそれ。



食べるためにそこまでするか??普通。

別にベジタリアンになりたいわけでもないし、むしろ人のお金で焼肉を食べたいといつも思っているタイプの人間だし、季節は次々死んでゆくのMVも平気で見れる。でもウィンナーを見るたびに、少し考えてしまう。

それでもたべる。先人の知恵だから。美味しくたべるための。人は残酷。たべる。命をいただく。生きなきゃね


よって、23時25分、今からラーメンを食べます。